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#001─村の年寄り

一つの村に通い続けていると、「村人の死」と向き合う場面がしばしば訪れる。黒森集落での13年目のシーズンは、「村人の死」と「死からの受け渡し」で始まった。

 

村の最長老で100歳を迎えたばかりの道江さんが、今年4月に亡くなられた。

 

出会ったときから道江さんは、「100歳まで生きる」と宣言されていた。腰は90度に曲がり、足は自由がきかなくなっていたが、畑仕事と冬の手仕事をずっと続けられていた。
そして今年の3月、見事に100歳を迎えられた。村のみなから祝福され、祝いの席ではとても喜んでおられたという。

 

そして、それから一か月あまりで亡くなられた。

 

最期のお顔は、充足感に満ちているようにお見受けした。亡くなる間際まで百姓をつづけ、誰に誇るでもなく淡々とご自分の仕事を全うし、100歳という大きな目標を達成して、完全燃焼された人生の尊い姿がそこにあった。

 

亡骸の前で、息子のカネハルさんが話をしてくれた。
冬の間、道江さんはワラを用意して、僕が訪ねてくるのを待っていたのだという。昨年末、僕は道江さんと約束をしていた。わら細工の達人である道江さんに「猫ちぐら」の作り方を教えてもらうことになっていた。「若いからすぐに覚えるだろうに、見せてやりたいねえ」。道江さんはそう話しながら、気にかけてくださっていたとのことだった。

 

生前、道江さんには色々なことを教わった。ふすま麴の醸し方、草履の編み方、俵の締め方、蛍カゴの遊び方、豆の干し方、麦のこと、味噌のこと、道江さんが若かったころのこと。

 

道江さんと過ごさせてもらった10年ほどの時間の中で、最も印象に残っていることの一つは、何年か前に企画したワラ細工教室に講師として来ていただいたときのことだ。イベントの最後に道江さんは「このような場に呼んでもらって、こんな幸せなことはない」と参加者の皆に向けてお話しされた。普段あまり感情を表に出さず、淡々としている道江さんが、その時は少し興奮気味に、少し上ずった大きな声で話されていた。道江さんのこの姿を見たとき、僕はうれしさと色んな感情がまじりあって、こみあげてくるものがあったことを覚えている。

 

「仕事は見て覚えるもんだ」と道江さんによく言われた。その道江さんの仕事を、もう見ることができない。道江さんにしか教えてもらえないことがまだまだたくさんあった。約束もお互い気にかけたまま宙にういてしまった。そう思うと、なんとも言えない重たいものが心のなかに残った。

 

これは、「後悔」とか「心残り」と表現されるものなのだろうか。いや、単純にそれだけではない。やりきれない重たさと同時に、決して後ろ向きではない、地に足が着くような重さも感覚する。これを何と表現したらよいのだろうか。いや、あるいはこれは、感傷に浸った独りよがりの感情なのだろうか。

 

そんな思いを逡巡しながら、おさまりのつかない気持ちで日々を過ごしていた。そして最近、ふと、以前読んだある一文を思いだして、なんとなく整理がついた。

 

「山里の共同体において、共同体としてまとまりをもたらす大きな要因が、「死の受け渡し」にある。その場所、その時代を共有した人間が死にゆくとき、そして死んだとき、死者は生者に何かを渡す。
 
その何かが何なのか、暴く必要はない。生き残った者は、ただその包みの重さを手に受ける。このような受け渡しの連続が、すなわち共同体の歴史だ。自分たちの生を歴史化して共有することが、ムラ共同体の「体」としての要なのだ。

 

よそものがそうでなくなるには「歴史」が必要だ。歴史という経験の共有がいる。共有による歴史化がいる。それは具体的に言えば以下のようになる。
 
よそもののNPOの若者は、活動を続けるうちに、やがて近しいムラびとの葬儀に立ち会う時が必ずやってくる。その時、若者たちは「死者」という内側の人間から、何かを受け渡され、参入権という権利においてではなく、受動的に不可避に、必然として、その共同体に沈潜してゆくのである。」


(関原剛(2012)「ムラ共同体と死からの受け渡し」、『「クニ」とは何か周辺雑文集』、pp.55‐56、かみえちご地域資源株式会社)

 

「死の受け渡し」による「ムラ共同体への沈潜」。自分が感覚した重さの正体はこれだったのかもしれない。道江さんと共有した時間と共に受け渡された何かによって、心に生じた重力。その重力によって、共同体の海の中に「沈潜」していく感覚。
 
このことが、これからの自分にどういう意味を持つのか、今はわからない。けれど、この村が自分にとってよりいっそうかけがえのない場所になったことは間違いない。そして、魔法の様にするするとワラが編まれていく、あの道江さんの手さばきを忘れることはない。道江さんの手の中に広がっていた無限の宇宙を忘れることはない。
 
道江さん、 道江さんに猫ちぐらを教えてもらうのは、僕がそちらの世界に行ったときのお楽しみにとっておくことにさせてもらいます。いつになるかわからないけれど、必ず会いに行きますので、それまで忘れずに待っていてください。待たせてばかりですみません。勝手なことを言ってすみません。これまで本当にありがとうございました。幸せな時間をありがとうございました。また逢う日まで、さようなら。

 

大磯町 弘重譲

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