うつわの向こうには作り手の姿が見えます。それは時に我々の背筋をしゃんと伸ばしてくれます。
うつわの作り手の顔を思い浮かべながら料理を盛り付けていると「これくらい頑張ればいいか。」ではなく、気づけば「まだもっと良くなる。」という風に意識がかわってきます。
うつわも料理も、流動的な変化をする「自然」という存在を摘み取ってひとの手によって加工するものです。
どちらも表現するための技術が必要ですが、心に響くものとなり得るか、はたまた作為的に見えてしまうかは、素材の根底にある「自然」という存在に対してどのように考えているかじゃないかと考えています。
「自然にみせる技術」ではなく、自然のどこを残すかを考えること。あくまでも日日食堂では、ですが、その様に考えています。
時に料理を作っていて、お客様を喜ばせたいとついつい行き過ぎた表現になりそうなことが多々ありますが、そうした時にうつわを通じてコミュニケーションをとることで、自分自身を律して反省させてくれる大きな存在。
それぐらい日日食堂にとってうつわは大事な存在なのです。