作者別: 坂間洋平

#003─続・私の「屋根裏博物館」

 

■ 戦争がもたらす“異形の道具”たち

 

 前回は、わが家の屋根裏博物館の概要と私がこだわる研究テーマを2つほど紹介しました(前号参照)。今回はそのつづき、いずれこの連載に登場することになる道具コレクションをいくつかお披露目しておきましょう。

 

  【3─道具が語る戦争と平和】

 

 道具たちのなかには、戦争の痕跡が深々と刻まれた“異形の道具”があります。見た目もヘンなのですが、その材質がどう考えても尋常ではない道具たちです。それは不幸な事態であると同時に、滑稽ですらあります。

 

 通常、ヒトは道具をつくろうと思うとき、用途に最も適した材料を選んでそれをつくります。

 刃物にはハガネ(鋼)、アイロンには鉄(iron)という素材が選ばれました。机や椅子という「木へん」の道具は木で、靴や鞄という「革へん」の道具は革でつくられてきました。

 

 ところが、ひとたび戦争がはじまると、道具の世界が異変に見舞われます。

 今年は第一次世界大戦の勃発から105年目になりますが、戦争は国民の命を奪うだけでなく、国家を絶望的なビンボーに追い込みます。この105年間、世界規模の戦争がはじまると、参戦国の政府が“国を挙げて”産業力、経済力、労働力のすべてを注ぎ込む「総力戦」を展開したからでした。

 

<写真-1>

 

 産業界では金属、皮革をはじめとする主要な資源は、すべて、優先的に、武器や兵器を製造する軍需工場へ回されます。その結果、民間の生活道具をつくる物資が底をつき、とりわけ金属製品の原料が決定的に不足して「代わりの素材」で急場をしのぐことになります。本来の用途を果たすにはおよそ不似合いな材料で道具がつくられるわけです。いわゆる【代用品】です。

 

 日本では、代用素材に「粘土(陶土)」が使われました。昭和10年代(1930年代後半~40年代半ば)、本来は金属でつくられるべきナベ、カマ、ガスコンロ、水筒、クギ、ボルトやナット、果ては陸軍の地雷や海軍の手榴弾(!)にいたるまで、セトモノ(土器=陶器や磁器)のそっくりさん──外見だけをコピーした【代用品】が製造され、実際に使用されました。

 

 さらに、戦争が終わると別種の“異形の道具”が大量に発生し、道具の世界はふたたび様相を一変させます。

 

 戦火に見舞われた国や地域では、終戦直後──長期戦の場合は戦中から──軍需品や兵器の残骸を利用した生活用品がつくられます。これは世界共通の現象ですが、日本では沖縄が最も顕著な例でした。

 
 
 象徴的な話があります。

 

 1945年の夏、この南の島は米軍の大空襲とすさまじい艦砲射撃を浴びて焼き尽くされました。身ひとつで戦禍を逃れた人びとの手元には、一杯の水を飲むためのコップすら残っていませんでした。

 

 亜熱帯の太陽が容赦なく照りつける炎天下、干上がるノド、だれかが米軍基地のダンプ(ゴミ捨て場)に山積みされたコカ・コーラの空きびんに目をつけます。アメリカ兵が捨てたこのボトルをちょん切れば立派なコップができるじゃないか、と。

 

 コカ・コーラは米国国防省御用達の軍需品でした。米軍将兵のためのオフィシャル・ドリンクです。沖縄の人びとはコークのガラスびんを拾い集めてグラスをつくりました。それを手に水場へ走り、ノドを潤しました。

 

 ほどなく訪れた「アメリカ世(あめりかゆ=米軍統治時代)」、結婚式に招かれた人びとはこのグラスに泡盛を注いで新郎新婦を祝いました。これが、沖縄戦の伝説として、いまも語り継がれている“コカ・コーラのびん底グラス”です。

 

 コークの空き瓶、転じて“びん底グラス”に。これを【転用品】といいます。

 

<写真-2>

 

 しかし、グラスひとつでは日常生活がいとなめません。ナベ、カマをはじめとする調理道具、身のまわりの家庭用品がなんとしても必要でした。
 といっても、見渡せば一面の焼け野原、道具を手に入れる術(すべ)はありません。目につくのは山野に放置された日米両軍の戦闘機や爆撃機の残骸でした。航空機は加工しやすいジュラルミンという軽金属でつくられています。

 

 これだ! と、まただれかが思いつきます。こいつを鋳直して道具をつくればいいじゃないか、と。
 かくて、焦土と化した沖縄ではナベ、カマ、ヤカンから、茶碗、皿、灰皿、下駄、玩具、そして、クワやカマなどの農具まで多種多様なジュラルミン製の道具がつくられました。

 

 軍用機、転じて“暮らしの道具”へ──この異変は、1945年~50年代の沖縄だけにとどまりません。1960~70年代のベトナム戦争下、米軍のじゅうたん爆撃を受けたインドシナ半島でもおびただしい数のジュラルミン製【転用品】が発生しました。

 

<写真-3>

 

■ 【消えた道具】と【ナゾの道具】たち

 

 ──と、カタイ話がつづきましたが、遊び心で集めた品も少なくありません。そのうちのひとつがこれです。

 

 【4─消えた道具たち】

 

 私は「道具と暮らし」をテーマにした集まりに呼ばれ、講演をすることがあります。そんなとき、私は次のような話からはじめることにしています。

 

 〈昔はどこの家庭にもあったのに、いまは身のまわりから消えてしまった道具というのがたくさんあります。ある新しい道具が普及すると、それとひきかえに古い道具が消えていく。たとえば──

 

 「石油ストーブ」や「暖房エアコン」の普及で「火鉢」や「湯たんぽ」が消えた。「レジ袋」とひきかえに「買い物かご」が消えた。「電気洗濯機」の登場で「タライ」と「洗濯板」が消え、「電気釜」の普及で「羽釜(直火炊きの炊飯釜)」が消えた。

 やがて、「全自動洗濯機」が登場するとその「電気洗濯機」が消え、「電子炊飯ジャー」が開発されると「電気釜」もいつのまにか姿を消して……〉

 

 【消えた道具】の例をあげていくと、会場に集まった多くの人たちがうなずきます。そこで、私は客席に尋ねます。

 

 「ほかには、どんな道具が消えましたか?」
 「そういえば──」と、年配の女性たちが顔を見合わせて応じます。「『かまど』や『七輪』が消えたわね。あと『ちゃぶ台』も」
 「うちでは、『蚊帳』とか『下駄』が消えました」
 たまたま、50代後半と思われる男性と目が合ったので聞いてみました。
 「おたくでは、身のまわりから何が消えましたか?」
 「うちの場合は」その男性はむっとした表情でこう答えました。「女房が消えた……」

 

<写真-4>


 

 ところで、コレクションのなかには、一目見ただけではなんの道具かわからないものがあります。用途不明、操作不能──不思議なかたちの道具や怪しげなデザインの器たちです。この種のものを私はこう呼んでいます。

 

 【5─ナゾの道具たち】

 

 そのいくつかをお目にかけたいと思いますが、★印の道具に注目しておいてください。中がうつろな三角錐、ナゾの木製ピラミッドです。 

 

<写真-5>

 

 ご覧のように、いずれ劣らぬ面妖な道具たちです。

 

 大文字の「X」を描く組み木細工、パソコンのキーボードに似た陶製品、銀色の怪魚、虚空をにらむダルマ大師──どんな用途の、なんという名前の道具かわかりますか?

 

 私は資料を漁り、その道の専門家に話を聞いて調べてみました。で、ひとたびナゾが解けるや「なるほど!」と目からウロコ。かたちと用途が見事に一致する名器だったりしたのです。

 今回は、1品だけ「ナゾ解き」をしておきましょう。そう、さっきの写真の「★印」の道具です。

 

 あのピラミッドの素材は硬いサクラ材です。正三角形の1辺の外径が12cm、内部には1面あたり15個の球形の凹みが刻まれています。

 

 ちょっと見には洋風の雰囲気ですが、じつは純和風のある食品をつくるときに使われる道具。完成した製品も美しいピラミッド型をしています。

 

 さて、★印の道具の正体は? ヒントは、中秋の名月と15個の球体……。

 

<写真-6>

 

 というわけで、和菓子業界でいう「打ち物」──干菓子の和三盆(わさんぼん)や落雁(らくがん)は、この「合わせ型」で押し固めてつくられます。

 干菓子用の型は江戸期に考案され、木型職人がノミや彫刻刀で1点ずつ彫り上げたもの。和菓子のみならず、精密多彩な「木型」もまた日本の伝統工芸品として海外から高く評価されているのはご存知のとおりです。

 

 いかがですか? 道具の探索は佳境に入ります。

 

〈つづく〉

 

☆ 次回─#004「ナベ(鍋)」をお楽しみに!

 

“女王様”の座ぶとんです

 

PHOTO CAP.

 

<写真─1/國を擧げて>
写真:沖縄県読谷村篇『戦時記録 上巻』より。

 

<写真─2/屋根裏博物館-の“びん底グラス”>
撮影:Tabute Murase(いずれも筆者のコレクションより=以下、
HMcollection)。

 

<写真─3/コレクション例 – 4 戦争が生んだ道具たち>
昭和10年代(1930年代)の日本産代用品、同時期のナチス・ドイツの“ヒト
ラー・コイン(2ライヒマルク)”、1945~50年代の沖縄産ジュラルミン製
転用品、1960~70年代のベトナム産ジュラルミン製転用品などである。
写真中央の“パイナップル形陶製手榴弾”は昭和10年代の大日本帝国海軍製
(沖縄県浦添市/在沖米軍基地キャンプ・キンザー「Battle Of Okinawa
Historical Display=海兵隊沖縄戦資料館」所蔵)、それ以外は
HMcollection。撮影:いずれも筆者。

 

<写真─4/消えた道具たちの例>
買い物かご/電気洗濯機=「北名古屋市歴史民俗資料館/昭和日常博物館」
所蔵。電気釜=「金沢市民俗文化財展示館」所蔵。それ以外は
HMcollection(撮影:筆者)。

#002─私の「屋根裏博物館」

 

■ ココロが動いたら蒐集チャンス

 

 私の家には「小屋裏」があります。二階建て住宅の上にかぶせた二等辺三角形の屋根、その内側を利用したスペースが小屋裏。いわゆる屋根裏部屋のことです。

 

 私のつれあいは“ゆみこ・ながい・むらせ”というペンネームのライターで、この小屋裏を「仕事場兼書庫」と呼んでいますが、私の場合はちょっとちがいます。私にとって、ここは「アティック・ミュージアム=屋根裏博物館」──長年にわたって集めた道具コレクションのストックヤード(保管所)になっているからです。

 

 私は極めつきの道具マニアです。その道の好事家(こうずか)たちが希少な切手やコイン、奇書珍本を漁るように、私は日本、アジア、ヨーロッパなどで使われてきた時代ものの道具や器(うつわ)を蒐集しています。

 

 といっても、骨董品や古美術品ではありません。フランスの古道具業界では「アンティキテ(antiquite=骨董・古美術品店)と区別して「ブロカント(brocante=ガラクタ道具店)と呼ばれる道具屋がありますが、私はまさにそのブロカント──年季の入った日用道具や生活雑器を集めています。

 

 カネに飽かせて集められればうれしいのですが、なかなかそうもいきません。基本的に、私がコレクションに費やす予算は「1品=ン千円」程度が目安です。なにしろ使い古されたガラクタ道具、500円玉でおつりがくる品も少なくありません。

 私の屋根裏博物館には、そんなブロカントが所狭しと陳列されています。よく、これを目にした友人が呆(あき)れた顔で尋ねます。

 

 「この手のものって、どうやって見つけるの?」
 「街を歩いていると……」私は答えます。「呼んでるんだよ、道具たちが」
 彼(ないし彼女)は重ねてこう聞きます。
 「買う、買わないは、どう判断するの?」
 これはかなりビミョーな事柄なのですが、あえていえばこうなります。

 

 「心が動いたらシャッターチャンス!」

 

 と、これは、あるプロのカメラマンが教えてくれた写真撮影の極意なのですが、その道具に出会って「心が動いたら蒐集チャンス!」──なのです。

 まずいことに、私のココロはかんたんに軽挙妄動するようで、わが家の屋根裏はいつのまにかミュージアムになってしまったというわけです。

 

 そこには、大小の段ボール箱が山積みされています。
箱には覚え書きを記したラベルが貼ってあって──
 「器もの(明治期~昭和初期)」
 「まな板(昭和30年代)」
 「釜のフタ(昭和初期~30年代)」
 「灯火具(江戸期~昭和初期)」とか、

 

 「アイロン(日本、フランス)」
 「ネズミ捕り器(日本、米国、フランス)」
 「紙製玩具(日本、英国)」
 「空き缶玩具(セネガル、ブルキナファソ)」
 「戦中・戦後の代用品(沖縄、本土、ベトナム)」
 「珍品奇具(諸国)」とか。

 

 さらに、箱に入りきれなかった道具たちが収納ラック、書棚はいうまでもなく、床の上にまであふれかえっています。ほら……

 

<写真-1>

 

<写真-2>

 

■ 道具蒐集のテーマ──【輪廻転生】【ジェンダー】

 

 今後、この連載に登場する道具たちは屋根裏のコレクション・アイテムを中心にする予定です。

 なぜなら、単なる取材や見聞にもとづいたものより、自分の身近にあって、手に取り、寸法と重さを計り、実際に使ってみたもののほうが、みなさんにご覧にいれる例としてふさわしいと思うからです。

 

 というわけで、私のコレクションのラインナップをざっと紹介しておきましょう。

 私の場合、道具の蒐集と研究にはいくつかのテーマがあります。主なものを挙げるとすれば──

 

【1─道具たちの輪廻転生(りんねてんせい)】

 

 ヒトが生み出した道具類は、ヒトと同じように寿命があります。道具は生まれ、そして死ぬ。「必要」という母から産まれた道具たちは──その種にしろ、個体にしろ──いったん「不要」と見なされるやたちまち滅びる運命にあります。

 

 ところが、道具たちのおもしろい点は、死んだと見せかけて思いもかけない生き返り方をすることです。たとえ、絶望的な壊れ方をしていた──としてもです。ある人間に「不要」だと判断されて見放された道具が、ほかの人間には「必要」だと評価されてよみがえる。こういうことがよくあります。

 

 この「生→死→再生」のダイナミズムを、私は 【道具たちの輪廻転生(一度死んだ存在が何度も生まれ変わること)】と呼んでいます。

 

 たとえば、先の<写真─1・2>ですが、あのなかでひときわ目立っていたのは「湯たんぽ」でしょう。日本、中国、フランス、ドイツ──古今東西、さまざまなデザインと材質の湯たんぽたちが妍(けん)を競っています。

 

 なぜ、湯たんぽなのか?

 

 それは、この素朴な暖房具が「屋根裏博物館」の傑出したスターであり、ダイナミックな【輪廻転生】を体現した道具の典型的な例だからなのです。
 詳しい話は機会をあらためることにして、湯たんぽ誕生の背景には人びとが直面したのっぴきならない「秘話」が隠されています。それはヒトの暮らしの知恵にまつわるドラマチックな物語でした。だから、ときどき、耳ざといテレビ局のクルーが取材に来たりします。

 

<写真-3>

 

<写真-4>

 

 さて、私がこだわる次のテーマはこれです。

 

【2─道具に見るジェンダー(社会的性差)】

 

 「ジェンダー」とは、男と女の生物学的なちがいとは別に、生まれ育った環境のなかで社会的、文化的につくりあげられた「男らしさ/女らしさ」のことです。私とゆみこ・ながい・むらせは、これを「ニセの性差」と呼んでいます。

 

 道具たちは常にマジョリティ(多数派・支配的集団)の利害を反映してつくられます。

 ハサミという道具はあたりまえのように右利きの人間用につくられています。公衆電話の受話器が左側に取り付けられているのは、利き手の右手でボタンをプッシュできますよという多数派だけの利便性を優先させた設計思想によるものです。

 

 興味深いのは、同じように、世の中の多くの道具たちが「ジェンダー・バイアス(男性優位社会の偏向性)」を色濃く反映させていることです。
 私が注目したのは「男の子の玩具=めんこ」と「女の子の玩具=ペーパードール(キセカエ人形)」。そして、女性専用の肌着である「ブラジャー」の歴史を深く掘り下げてみました。このあたりの話も、いずれ詳しくリポートしましょう。

 

 ただし、大量のめんことペーパードールのコレクションは屋根裏に保管してありますが、ブラは集めないことにしています。あらぬ疑いをかけられそうなので。

 

<写真-5>

 

<写真-6>

 

<写真-7>

 

〈つづく〉

 

☆ 次回─#003 続・私の「屋根裏博物館」をお楽しみに!

 

伝説の”びん底グラス”

 

PHOTO CAP.

 

<写真─1/屋根裏博物館- 1>
撮影:Tabute Murase

 

<写真─2/屋根裏博物館- 2>
撮影:Tabute Murase

 

<写真─3/屋根裏博物館- 3>
撮影:Tabute Murase

 

<写真─4/コレクション例 – 湯たんぽ>
撮影:筆者(いずれも筆者のコレクションより=以下、
HMcollection)。

 

<写真─5/コレクション例 – めんこ>
昭和10年代~40年代までのめんこを2000点ほど蒐集し
てある。撮影:筆者(HMcollection)。

 

<写真─6/コレクション例 – Paper Dolls>
英国ヴィクトリア朝(19世紀後半)のペーパードールと
日本の昭和30年代(20世紀半ば)の紙製キセカエ人形。
撮影:筆者(HMcollection)。

 

<写真─7/非コレクション例 – ブラ>
東京・銀座のランジェリー・ショップにて。撮影:筆者。

中ノ畑窯展《2019.08.01thu – 08.25sun》

中ノ畑窯さんは、自然の中で家族で協力しながら
土を掘り、窯をつくり、育てたお米で釉薬を作り
土を練り上げ、薪をくべ、うつわを焼きます。

うつわに盛りつけたお料理が自然の恵みなら
中ノ畑窯さんの焼くうつわもまた自然の
恵みと云えるでしょう。

 

沖縄の北窯で、沖縄の焼き物である「やちむん」づくりを学ばれたた佐藤さんご夫婦は
大阪の高槻の山奥深くで素晴らしいうつわをつくっておられます。

 

会期

2019年8月1日(木) – 25日(日) 11:30 – 18:00 (月、火は定休日)

とんがった杜氏たち

蓮井幹生 写真展《とんがった杜氏たち》

 


焼酎どころかお酒の飲めない僕が、ある日、一人の焼酎造り人(杜氏)に出逢った。
それから出逢いは繋がり、2年をかけて宮崎と鹿児島の7人の注目される焼酎杜氏たちを撮影した。

-蓮井幹生(Mikio Hasui)

 

会期

2019年7月17日(水) – 28日(日) 11:30 – 18:00 (月、火は定休日)

 

トークイベント

7月21日(日) 15:00 – 16:30
16:30からは焼酎に合わせた料理をお出しします。
若松徹幹(大和桜酒造)、渡邊幸一朗(渡邊酒造場)、黒木本店工場長、蓮井幹生
参加費:3,000円 ※お酒代は別となります。
※要予約:蓮井幹生写真室 TEL.03-3794-2249

 

7月27日(土)
柳田正(柳田酒造)、矢野裕晃(松露酒造)
この日は蓮井は不在となります。

 

プロフィール

 

 

蓮井幹生
1955年東京都出身。アートディレクターを経て写真の道へ入る。カルチャー系エディトリアルシーンで発表されたポートレイト作品により注目を集めることになるが、着々と表現の幅を拡大し、ストーリーを語りかける写真表現で厚い信頼を得る。写真表現が持つ、精緻なメッセージを引き出すその撮影姿勢を反映した作品「PEACE LAND」は独自の世界観の核を成し、継続的に発表され、2009年にはフランス国立図書館に収蔵される。また2010年にも「詠む写真」が同館にコレクションされる。2013年 COMME des GARCONS BLACK SHOP(ベルリン)にて個展「IMAGINE IN THE LIGHT」開催、2014年 企画展「Two Mountains」(クアラルンプール)、2017年 企画展「PHOTOGRAPHY NOW」(ロンドン)へ参加。
2019年サーモスのグラフィックにてAPAアワード「美しい日本賞」受賞。

 



Mikio HASUI

Born in Tokyo in 1955
Graduated from Meiji Gakuin High School, and studied at Department of Sociology, Meiji Gakuin University for three years
Studied design under art direct or Takeshi Moriya
In 1978, joined Nippon Design Center
After three years at Nippon Design Center and later at Studio Masell, established his Co., Ltd., an advertising production company
Involved in art direction for advertisement in general and designed record jackets as a graphic designer
In 1984, started to study photography, self – taught, to become a photographer
In 1988, held the first exhibition, began career as a photographer
Photographed portraits of celebrities primarily, for cultural magazine works and for 03 by Shinchosha
From about 1990, participated in various types of advertisement works as an advertisement photographer
In 1998, established a photography studio Snappin’ Buddha
In 2000, worked on the first commercial film for UNIQLO campaign, After that, made a start as a commercial film cameraman and a director
In 2004, set up a digital lab in the studio to deal more extensively with digital photographs
In the same year, won ACC (All Japan Radio & Television Commercial Confederation) Special Prize and Best Filming Prize for NESCAFE Excella ad “Scent of summer”
Participated in many works, which received ADC (Tokyo Art Directors Club), ACC, TCC (Tokyo Copywriters Club) and other awards.

Living in NY & Tokyo.